3.ネイティブの幼児のように英語は学べる?
「英語が話せないのは文法のせい?」では、文法訳読法とそれに対抗して登場したディレクト・メソッドについてご紹介しました。ディレクト・メソッドの特徴は、外国語学習においても、母語習得と同じ過程を応用することができる、と考えている点でした。
「ネイティブの幼児と同じ方法で、我々も英語を学ぶべきだ」という考え方は、一見とても説得力があります。私たちも日本語を学習する時は、文法を意識することなく、自然な文脈の中で言葉を使っているうちに、いつの間にか日本語が使えるようになっていました。そのような日本語習得過程に比べると、日本の伝統的な英語教育はいかにも理不尽です。英語の授業とは言いつつも、自然な文脈の中で英語を使用する機会は皆無と言ってよく、代わりに「3人称単数」とか、「過去完了進行形」とか、「仮定法現在」といった、ネイティブでさえ知らないような文法用語をこねくり回しています。
日本の英語教育に不満を持った人々が、「外国語に関しても、母国語と同じ方法で習得することができる」という理屈を考え出すのも無理はないでしょう。文法、和訳中心の英語教育で英語が出来るようにならなかった実体験を持つ多くの日本人にとっては、母語習得過程に基づいた外国語学習理論は、自然で合理的なものに映るかもしれません。
しかしながら、外国語教育理論の分野では、大人は幼児のように外国語を習得することはできないというのがほぼ定説になっています。このページでは、なぜ我々が幼児のように英語を学習することはもはやできないのか、その理由を考えてみましょう。
臨界期という問題
動物の神経活動の中には、生まれてからある一定期間内に学習しなければ、一生学習することができないものがあります。例えば、スズメは生まれてから一定期間以内にさえずりを学ぶ機会を逸してしまうと、一生かかってもスズメらしく歌えるようにはならないことが判っています。また、アヒルやニワトリは、孵化してから一定時間内に餌をついばむことを覚えないと、その後永遠についばむことができないと言われています。
このように、ある行動の学習が可能な一定期間のことを、専門用語では「臨界期」と言います。いくつかの動物の行動に臨界期があるように、人間の言語習得においても、臨界期が存在すると考えられています。
つまり、人間が自然に言語を習得することができる期間も限られており、その年齢以降は、幼児のように言語を習得することができなくなるということです。判りやすく言えば、スズメの歌を聴かずに育った雛が、決してさえずることができないように、子どもの頃に英語を聞かずに育った我々は、もはや幼児のように自然に英語を学習することはできないのです。
マサチューセッツ工科大学(MIT)の認知神経科学センター所長を務めるスティーブン・ピンカー教授は、人間の言語習得にも臨界期があることを示す具体例を、著書の中で2つ紹介しています。1つ目は、Genieの事例です。彼女は生まれた時から父親の虐待を受け、13歳になるまで実家の地下室に監禁され、言語とほとんど接触することなく育てられました。13歳になってから社会福祉員に発見され、長年にわたり社会復帰を目指して言語の訓練を受けたと言いますが、英語の文法を完全に身につけることはできなかったと言われています。
例えば、彼女の話した英語は、成人になっても、
Mike paint. (マイク、ペンキ塗る)
Applesauce buy store. (アップルソース、買う、店)
(スティーブン・ピンカー著・椋田直子訳、「言語を生み出す本能(下)」より)
のように、単語を並べただけのぎこちないものであったといいます。
ピンカー教授は更に、Chelseaの事例も紹介しています。Chelseaは、生まれつき聴覚障害を持っていましたが、診察した医者は精神遅滞や感情障害と判断していたため、誰も彼女が聴覚障害を持っていることに気がつかなかったといいます。そして、31歳になるまで、言語を一切耳にすることなく育ちました。
しかし、31歳のときに、彼女が聴覚障害を持っていたことが判り、補聴器をつけることで、彼女の聴力は正常に近いレベルにまで回復しました。それから、Chelseaは集中治療を受けることで、意思の疎通ができるようになり、病院の事務職につき、自立して社会生活が送れるまでになりました。しかし、彼女も決して文法的に完璧な英語が話せるようにはならなかったと言われています。彼女の発する英語は、長年かかっても、以下のようなぎこちない発話から進歩することはなかったのです。
The small a the hat. (その、小さい、一つの、その、帽子)
Richard eat peppers hot. (リチャード、食べる、ペッパー、辛い)
Orange Tim car in. (オレンジ色、ティム、車、中に)
(スティーブン・ピンカー著・椋田直子訳、「言語を生み出す本能(下)」より)
外国語学習の臨界期
GenieもChelseaも、いずれも本人にとっては不幸な出来事であったことは想像にかたくありませんが、人間の言語習得にも臨界期があることを示唆していると言えそうです。しかし、GenieやChelseaの事例は、言語習得の臨界期を証明するためには、不十分と思われる方もいらっしゃるかもしれません。例えば、Genieが完全に英語に習得することができなかったのは、父親に虐待され13年間も社会から孤立して育てられた経験から、人と接することに一種の恐れを感じていたことが原因であるという解釈が可能です。
また、GenieとChelseaの二人の事例だけでは、人類全体に言語習得の臨界期があると言い切るには、そもそも不十分であると感じている方もいらっしゃるかもしれません。
GenieとChelseaは母国語に関する臨界期の例でしたが、外国語に関する臨界期の例を見てみましょう。「大人が幼児のように英語を勉強できるのか?」という問いに答えるためには、何も母国語ではなく、外国語学習に臨界期があるかどうかを証明すれば十分であるからです。
結論から言うと、過去に行われた研究の多くは、外国語学習にも臨界期があるという説を支持しています。例えば、ある研究では、ハンガリーからアメリカに移住した57人の被験者を例に、彼らがアメリカに移住した年齢と英語力との相関関係を調べました。彼らがアメリカに移住した際の年齢は、1歳〜40歳まで様々でした。彼らに英語の文法力試験を行ったところ、アメリカに移住を開始した年齢と、文法力テストの間には、強い負の相関関係がありました。つまり、アメリカに移住した際の年齢が高ければ高いほど、文法力テストでの得点は低くなったのです(De Keyser 2000)。
アメリカに移住した際の年齢と英語の発音との相関関係を調査した別の研究でも、移住の際の年齢と、英語の発音には、やはり強い負の相関関係があることが判りました。
興味深いのは、多くの研究において、移民の英語力は、アメリカでの居住年数よりも、アメリカに初めて来た際の年齢との間に大きな相関関係がある、ということです。つまり、15歳でアメリカに到着して10年間そこで暮らした移民の英語力は、30歳でアメリカに渡り20年間そこで暮らした移民のそれよりも、全体的に高くなる傾向があったということです。
移住開始年齢と外国語能力との相関を調査した研究は、外国語学習の臨界期という問題に、多大なる示唆を与えてくれます。生後一定期間を過ぎると、スズメが歌を学ぶことができなくなったように、われわれ人間も、生後ある年齢を過ぎると幼児のように自然に外国語を学習する能力は失われてしまうようです。
外国語学習の臨界期がいつであるかについては、意見が分かれています。しかし、ほとんどの専門家が、思春期〜16歳を過ぎてからでは、ネイティブとほぼ同等の文法能力を身につけるのが極めて困難になるという見解を述べています。また、文法に比べて発音の臨界期は早く、6歳頃に臨界期が来ると言われています。
# 「臨界期」に関する補足
「臨界期」という概念は、ある一定の年齢を過ぎると、幼児のようと同じ方法で、ネイティブ・スピーカー並みの言語能力を身につけることが「極めて困難になる」、と述べているものであり、「完全に不可能になる」ことを示唆しているものではありません。
「臨界期」という言葉には、生得的な言語習得能力が完全になくなってしまうという語感があるため、研究者の中には、「臨界期」という言葉の代わりに、言語学習の「最敏感期」(sensitive period)という言葉を用いる人もいます。
我々は幼児のように英語を学ぶことはできない
外国語学習に臨界期があると言われていることを考えると、「ネイティブの幼児のように英語を学ぶ」という学習理論に大きな欠陥があることがお判りいただけるのではないでしょうか? 臨界期を過ぎた我々には、もはや幼児のように言語に触れるだけでそれを自然に習得する能力は、残念ながら欠けているようです。
アメリカに移住し、日常的に英語に接する機会がある人たちでさえ、臨界期を過ぎてからでは、ネイティブ並みの英語力を身につけることは極めて困難であることが判っています。ましてや、日本に住んでおり、英語のインプットが限られている我々が、いくら自然な文脈で英語に接したとしても、英語を身につけることが困難であることは目に見えています。
そのように考えてみると、外国語学習において、母語習得過程には見られない意識的な学習を我々が行うのは、理にかなったものであることが判ってきます。
しかしながら、「我々も幼児のように英語を学ぶべきだ」という考えは、いまだに広く支持を集めているようです。例えば、ある書籍は、「(外国語学習の)最大のポイントは、外国語も結局は母国語の習得過程と同じ方法でやるべきということなんだよ」と述べ、英語を「第二の母国語」にするノウハウを伝えているといっています。
ある英会話スクールは、「文法を中心とする講義はなく、母親から、子供が言葉を教わるように、その言葉に慣れていくうちに自然にコミュニケーションできるように」なることを目指していると言います。
ある英語の通信講座は、我々日本人が英語ができないのは、英語を学習しているからだと言います。そして、我々も、日本語を習得する際に用いた「コトバを無意識のうちに習得していく能力」を英語に活用することで、自然に英語を習得することができる、と述べています。
外国語学習には臨界期があると言われていることを考えると、いずれの学習法ともに、問題が多いと言わざるを得ません。しかしながら、先に引用した書籍も英会話スクールも通信講座も、なかなかの好評を博しているようです。
例えば、先に引用した書籍は、実は韓国のC氏によって書かれたものなのですが、韓国で100万部を超えるベストセラーになった後、日本でも翻訳書が発売され、シリーズ累計70万部を突破したヒットになったと言われています。「子供が言葉を教わるように」英語を学習することを目指す英会話スクールは、「120年以上の歴史」を持ち、「世界50ヶ国にネットワークをもつ」ということですから、「幼児のように外国語を習得する」という俗信は、日本に限らず、世界中で長年にわたって信じられ続けているようです。
「画期的な」学習法!?
「ネイティブの幼児のように英語を学ぶ」という学習理論は、もはや今となっては最新の理論でも何でもありません。グアンやベルリッツは、今から少なくとも120年以上前に、ほぼ同様の教授法を考案しているのは、「英語が話せないのは文法のせい?」で既に見たとおりです。
しかし、「ネイティブの幼児のように英語を学ぶ」書籍や、英会話スクールや、通信講座が今でもこれほど世の中に氾濫している現状を考えると、我々はこの120年間の間で、外国語教育理論に関して、全くの進歩をしていないようです。
余談ですが、先に紹介した、母語習得と同じ過程で英語を第二母語にすることを著書において主張するC氏の略歴が、驚くほどディレクト・メソッドを提唱したグアンのそれに似ているのは興味深いところです。
前ページで述べたとおり、グアンは祖国で文法書と辞書を片手に必死に勉強しても、本場では全くドイツ語が聞き取れない、話せないという苦い経験から、幼児の言語習得仮定に基づいたグアン・メソッドを提唱しました。C氏も、略歴によると、「韓国で必死にドイツ語を勉強したにもかかわらず、実際にドイツでは聞けない、話せないという事実にショックを受け、奮起して自分なりの語学習得のノウハウを構築」した、ということです。
C氏は自身の学習法のことを、「自ら編み出した外国語学習のノウハウ」と述べていますが、氏とほぼ同様の「画期的な」教授法を生み出した人物が19世紀に既に存在していたことを、どうやら知らなかったようです。
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(参考文献)
De Keyser, R.M. "The robustness of Critical Period effects in second language acquisition." Studies in Second Language Acquisition 22 (2000): 499-533.
Ellis, Rod. Second Language Acquisition. Oxford: Oxford University Press, 1997.
白畑知彦. 「年齢と第二言語習得.」 第二言語習得研究に基づく最新の英語教育. (監修)小池生夫, (編)SLA研究会. 東京 :大修館書店, 1994.
スティーブン・ピンカー. 言語を生み出す本能(下). NHKブックス.(訳)椋田直子. 東京: 日本放送出版協会, 1995.
鄭 讃容. 英語は絶対、勉強するな!―学校行かない・お金かけない・だけどペラペラ. (訳)金 淳鎬. 東京: サンマーク出版, 2002.
ベルリッツジャパン株式会社公式サイト.< http://www.berlitz.co.jp/>
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