「英語を学ぶすべての人へ」 > 英語学習を科学する


2.英語が話せないのは文法のせい?

今回は、「日本人は文法と読解ばかりやるから、英語が話せない」という意見について考えてみたいと思います。このような批判は、英語教育を批判する上で常套句のようになっていますが、外国語教育の歴史を調べてみると、これほど広く世間一般に信じられた誤解はないということが判ってきます。


文法訳読法

「日本人は文法と読解ばかりやるから、英語が話せない」という批判は、日本の英語教育を批判する際の常套句です。教師が日本語で文法事項を解説し、英語の文章を日本語に訳してゆくという昔ながらの教授法は、「文法訳読法(Grammar-Translation Method)」と呼ばれます。

文法訳読法の最近の評判は、決して芳しいものではありません。国際化が進んでいるのに、日本人の英語力が一向に上がらないのは、旧態依然とした文法訳読法の授業がいけないのだと、日本人の英語力不足の元凶として名指しされることもしばしばです。

しかし、教授法の歴史を少し紐解いてみると、文法訳読法を一方的に悪役と決め付けるのは、物事を単純化しすぎた浅薄な意見に過ぎない、ということが判ってきます。

ここで、文法訳読法の歴史を振り返ってみましょう。文法訳読法は、外国語教授法の中でもっとも長い歴史を持っているもので、その起源は古く中世にまで遡ります。

中世ヨーロッパでは、ラテン語に精通することが教養であり、知育、精神鍛錬につながると考えられていました。ラテン語を話す人の数は、ローマ帝国の滅亡以来、急速に減ってゆきますが、それでもラテン語は学校教育の中心科目でした。

話者が少ない言語を学ぶうえで、会話の能力を伸ばすことは重要ではありません。そこで、ラテン語の教育においては、文法訳読法が用いられ、ラテン語の原典を正確に理解することが重視されました。これが、文法訳読法の始まりです。

18世紀後半には、ラテン語以外の現代語(例えば、フランス語やドイツ語など)がヨーロッパでも教えられるようになりましたが、その際にも、ラテン語教育の伝統から、引き続き文法訳読法が用いられることになりました。

しかし、文法訳読法には、皆さんもお気づきのとおり、ひとつの大きな欠点がありました。それは、外国語を読み書きする能力は身についても、実際の会話力がつかないということです。原典を読むことが目的であったラテン語を学ぶ際にはそれで問題なかったのでしょうが、話者と接する機会がある現代語を学ぶ上では、やはり会話力も身につけたいという要望が高かったのです。19世紀中盤以降、文法訳読法への批判が次第に高まってゆきました。


ディレクト・メソッド(直接教授法)

19世紀末には、文法訳読法への批判に応えて、「ディレクト・メソッド(Direct Methods、直接教授法)」と呼ばれる一連の教授法が誕生しました。ディレクト・メソッドの創始者として考えられているのは、フランソワ・グアンというフランス人です。

グアンはドイツ語を学ぶために、1年間ドイツで過ごしました。ラテン語教師であった彼は、ドイツ語もラテン語のように文法訳読法で勉強すれば話せるようになるだろうと、ドイツ語文法を学び、たくさんの単語を暗記しました。

しかし、文法書と辞書を片手にいくら勉強しても、ドイツ語がまったく話せず、聞き取れるようにもならないことに気がつきました。1年間ドイツで過ごしても、ドイツ語がほとんど上達しなかったグアンは、失意のうちにパリに戻りました。

フランスに帰った彼は、「2.5歳になる彼の甥がわずか10か月の間に自由にフランス語を話せるようになった」のを見て、驚きます(永森 19)。子どもは、単語を暗記しようとせず、ましてや文法を勉強することもないのに、いつの間にか言語を喋ることが出来るようになるのです。

そのような自分自身の経験に基づき、1880年、グアンは「外国語の教授と学習法」の中で、彼独自の外国語教授法、グアン・メソッドを発表しました。これがディレクト・メソッドの始まりでした。

ディレクト・メソッドでは、会話能力がつかない文法訳読法の反省に立ち、文法を意識的に教えることはしません。幼児が言葉を学ぶ過程をお手本にして、翻訳は一切行わず、外国語のみで授業を進めます。そして、読み書きよりも会話に重点を置きます。

どこかで聞いたような話だぞ、と思われた方もいらっしゃるかもしれません。ディレクト・メソッドという教授法は、今の多くの英会話スクールで実践されているものに近いのです。

実際、ディレクト・メソッドのひとつには、ベルリッツ・メソッドという教授法があります。名前からお判りの通り、このベルリッツ・メソッドの創始者は、現在全世界に展開している語学学校、Berlitz School of Languagesの創始者でもあります。ベルリッツがアメリカに初めて語学学校を開設したのが1878年のことですから、彼もグアンと同時代の人物なのです。

文法訳読法の不備を解決するものとして提案されたディレクト・メソッドですが、もちろん欠点もあります。ディレクト・メソッドの欠点としては、主に以下のような6つが挙げられます。

(1) 教師が授業中に翻訳をしないとしても、学習者が頭の中で翻訳を行っている可能性がある。
(2) 外国語のみによる説明では、生徒が理解に手間取ったり、誤解してしまうことがある。
(3) 母国語と外国語との構造比較の重要性が軽視される。
(4) 子どもが母語を学ぶ過程と、学習者が外国語を学ぶ過程とは、異なるものであるから、子どもの母語習得過程を参考にすることはできない。
(5) 文法を明示的に教えた方が、逆に効率が良いこともある。
(6) 問答やシチュエーションのみに頼っていては、教材の配列が系統的でなくなるおそれがある。

"Direct Methods"(永森忠治著)より。


2つの教授法と現在の日本

文法訳読法とディレクト・メソッドの二項対立は、現在の日本でも、馴染みのある図式かもしれません。

例えば、現在の日本でも、「学校では文法と翻訳ばかりやるから、いつまでたっても英語が話せるようにならない」という批判を良く聞くことがありますが、グアンが文法訳読法に対して感じた不満と、驚くほどよく似ています。

一方で、ベルリッツンの語学学校が120年以上たった今でも続いていることから、文法訳読法への反動として、ディレクト・メソッドがいまだに多くの学習者を魅了していることかが判るでしょう。

しかし、既に述べたように、ディレクト・メソッドも決して万能ではなく、特に20世紀以降は多くの批判にさらされるようになりました。

反対に、否定的に語られることが多い文法訳読法にも、いくつかの長所があることが指摘されています。例えば、

1) 初学者に対して、外国語の基礎を効率よく教えることができる。

2) 母国語と構造がまったく異なる言語を学ぶ際には、特に効果的である(日本語話者がゲルマン語である英語を学ぶ場合などが当てはまります)

といった指摘があります。

近年の「グローバル化」を受けて、コミュニケーション能力重視の英語教育に関する関心が高まってきました。そして、「学校では英会話を教えるべきだ。役に立たない文法なんて教えなくて良い」というような意見が、多く聞かれるようになってきました。自分が受けてきた英語教育への不満からか、短絡的な文法訳読法批判も、マスコミなどで盛んになされています。

しかし、文法訳読法を否定する意見は、何も決して新しいものではありません。グアンやベルリッツがその限界に気がついたのは、1880年頃のことでした。つまり、今から120年以上も前に、文法訳読法はその限界が指摘されていたのです。それ以来、文法訳読法の欠点を補うために、ディレクト・メソッドをはじめ、様々な教授法が考案されてきました。

そのような長い外国語教授法の歴史を無視して、文法指導を一切排してコミュニケーション一辺倒に流れるとするならば、我々の外国語教育の理論は120年以上前からほとんど進歩していないということになります。


「日本人の英語下手」は、文法・読解中心の授業のせいではない

そして、詳しくは「日本人は世界に名だたる英語下手?」に譲りますが、

日本人が英語を話すことができないのは、文法訳読法の授業が原因だ

学校で文法訳読法の授業をやめれば、日本人も英語が話せるようになるだろう

という我々がよく耳にする単純な英語教育改革論は、誤りであることにも気がつかねばなりません。

なぜなら、日本人が英語を話せるようにならないのは、教授法自体と言うよりも、「英米に植民地支配されたことがない日本の歴史」、「英語という言語が社会的に与えられている役割」、「母国語と英語の言語学的距離」という歴史的・社会的・言語学要因が大きく作用しているからです。そういった要因を一切考えずに、目先の教授法だけをいじったところで、根本的な解決にはなりえません。

学校教育の限られた時間で言語学的に距離が離れた英語の基礎を教える日本のような状況下では、文法訳読法は合理的で効率の良い教授法だと考えられています。「日本人の英語下手」の原因を文法訳読法のみに押し付けてしまうとしたら、文法訳読法のせっかくの長所を生かすことができず、それこそ日本の英語教育にとって大きな損失です。

現在我々に求められているのは、文法訳読法とディレクト・メソッドの長所と欠点とを把握し、それぞれをうまく補完するようなバランスを見つけることなのではないでしょうか?

--- * ---


【参考文献】

Critchley, Michael. 「留学前に知っておきたいTESOLの基礎知識.」 英語教授法- 海外のTESOLプログラム 大学院留学専攻ガイド. (編)アルク留学編集部. 東京:アルク, 2000.
実松克義. 「言語学習の謎 -知識の結晶作用のプロセスとその彼方にあるもの-.」 大学教育研究フォーラム(2) 東京:立教大学, 1997.
永森忠治. "Direct Methods". 現代英語教授法総覧. (編)田崎清忠、佐野富士子. 東京:大修館書店, 1995.
ベルリッツジャパン株式会社公式サイト.

<<前のページへ 目次 / 序文 / 1 / 2 / 3 / 4 次のページへ>>

【英語を学ぶすべての人へ クイック・リンク】
TOEIC 英検 TOEFL TOEFLライティング 国連英検 通訳ガイド国家試験 CASEC PhonePass GTEC
はじめに MDを使った英語学習 NHKラジオ英語講座のススメ 英語学習を科学する 語源で覚える英単語(改訂版) 英語の発音を良くするには その他
役に立つものたち 役立たずなものたち 掲示板 英語相談室 お便り紹介 リンク
アメリカ交換留学記 作者の日記 作者の紹介 作者へのコンタクト サイトマップ



「英語を学ぶすべての人へ」 > 英語学習を科学する