「英語を学ぶすべての人へ」 > 英語学習を科学する


4. 歴史上最も成功した外国語教授法とは?


「英語が話せないのは文法のせい?」では、文法訳読法とディレクト・メソッドという2つの外国語教授法をご紹介いたしました。外国語教授法には、様々な分類の仕方がありますが、一般に30〜40くらいの教授法が知られています。文法訳読法とディレクト・メソッドは、数ある教授法の中でも最も古典的といっていいものでしょう。

ディレクト・メソッドは19世紀末に提唱されたものですし、文法訳読法にいたっては、その起源は古く中世にまでさかのぼります。

それでは、長い外国語教育の歴史の中で、今までで最も成功したと思われているものは、何なのでしょうか? 答えは、1940年代にアメリカで用いられた、"Army Specialized Training Program(陸軍特別研修計画、以下ASTP)"と呼ばれるものです。このページでは、ASTPがなぜ成功したのか、その秘密を探ってみたいと思います。

数週間でネイティブと電話で話せるようになった!?


 まず、ASTPがどのくらいの成功を収めたのかを、簡単にご紹介します。Armed forces' foreign language teaching: critical evaluation and implicationという書籍には、ASTPの成功事例が多数のエピソードと共に紹介されています。

 ASTPの成功を物語る証左として、それらを箇条書きにしてまとめてみます。

1) ペンシルバニア大学でハウサ語を学習していたある学生は、2〜3週間後には、ネイティブと電話による15分間のハウサ語会話ができるようになっていた。

2) シャム語を22年間学んでいたある大佐は、ミシガン大学でシャム語を3ヶ月学んでいる学生のクラスを見学した。その大佐は、学生の能力の高さに驚き、「ここの学生はまるでネイティブのように喋っている!」と叫んだ。

3) ある陸軍少佐は、ポルトガル語の学習暦は全くなかったが、ASTPで9週間ポルトガル語を学んだ後に、リズボンの大使館付き陸軍武官になった。

4) ある学生はASTPでスペイン語を9週間学んだ後に、スペイン語圏の国で2ヶ月過ごした。それらの学習経験だけで、アメリカ文明についてスペイン語で講義を行い、聴衆からの質問に答えることができるようになっていた。

5) 教養のあるロシア人は、イエール大学での6週間目のロシア語のクラスを見学して、「アメリカ人はなんて語学に堪能なんだ!」と驚いた。

6) コロンビア大学では、学生が2,000のペルシア語の単語とフレーズを、9週間で習得した。


(註:ちなみに、文部科学省の学習指導要領では、中学〜高校の6年間で、約2,700語を学習することが義務付けられています。それらの数字と比較すると、「9週間で2,000の単語とフレーズを学んだ」ということがいかに驚異的であるか、お判りいただけるでしょう。)

などなど……。

 以上のように、ASTPの成果として報告されているものは、どれもにわかには信じられないようなものばかりです。「10年近く英語を勉強しているのに、日本人はちっとも英語が話せない」というわが国の英語教育の現状を考えると、「2〜3週間の学習をしただけで、ネイティブと電話による15分間会話を行うことができた」というエピソードは、驚異的ですらあります。

上の6つは極端な例として割り引いたとしても、ASTPは長い外国語教授法の歴史の中で、最も成果が高かったものという評価を受けていることには変わりありません。

 ASTPがどんなものか、ちょっと興味が湧いてきましたか? それではまず、ASTPの基礎知識から見てゆきましょう。


ASTPの基礎知識


 ASTPの正式名称、" Army Specialized Training Program(陸軍特別研修計画)"から判るように、ASTPとはアメリカ陸軍の兵士を対象にしたプログラムでした。アメリカ陸軍の外国語能力は、第一次大戦の際には非常に低く、欧州諸国の軍隊の物笑いの種になったほどだったと言われています。 そこで、第二次大戦中の1943年に、ペンシルバニアやイエールなど諸大学の協力を得て、ASTPが開始されました。

 ASTPが実施されたのは、1943〜44年までの一年余のみでしたが、15,000人もの兵士が参加し、27もの外国語が対象となったと言われています。その中には、当時の敵国語である日本語、ドイツ語、イタリア語も入っていました(余談ですが、日本では第二次世界大戦中には、英語は「敵性語」として扱われ、一切の英語教育を行いませんでした。その一方で、アメリカは敵国の言語を積極的に教育し、作戦に役立てようとしていたというのは興味深いですね)

 ASTPでの授業は、アメリカ人言語学者らが読解、翻訳などを教える授業と、ネイティブ・スピーカーによる口頭練習の授業とに別れていました。読み書きや文法は、あくまでも基本的なもののみにとどめられ、ネイティブによる口頭練習の方により多くの時間が割かれ、徹底した暗記・反復練習が行われていました。

 ASTPが実施されていた当時は、行動主義心理学に基づく習慣形成という考えが支持を集めていたため、ネイティブの言語に触れて、とにかくそれを模倣、暗記することで言語が習得されると考えられていたのです。


ASTP成功の理由は?


 しかし、ASTPが大成功に終わった理由の多くは、授業の進め方以前に、受講生の学習意欲などの外的要因が大きかったといわれています。例えば、ASTP受講生の外国語学習意欲は、並大抵のものではありませんでした。なぜなら、ASTPでは学習成績が自らの昇進と密接に係わっていたため、皆必死に勉強していたからです。

 受講生には、昇進というアメだけではなく、軍隊ならではのムチも用意されていました。成績が芳しくなく、言語適性がないと判断された学生は、即刻プログラムから除名され、他の兵士と共に前線で戦闘に従事させられたのです。成績が悪いと文字通り命に係わる結果になるのですから、受講生が必死になって勉強したであろうことは想像に難くありません。

 また、ASTP受講生の置かれた環境は、外国語学習に非常に適したものであったとも言われています。例えば、受講生は1日の全てを外国語の学習にあてており、それ以外の軍事訓練に参加する必要は全くありませんでした。そして、1クラスの生徒数は、多くとも10人程度までに限られていたと言います。それだけ集中的に、しかも少人数で学習していたのですから、1週間に数回程度の授業で、しかも1クラスに40人近く学生がいるような日本の英語教育と成果を比べてしまうのは、少しフェアではないかもしれません。

 更に、ASTPでは事前に言語適性に関する検査を行い、外国語学習にある程度の適性がある者にしか受講を認めませんでした。

授業の進め方も、おそらく和気藹々としたものではなく、軍隊ならではのスパルタ式であったことは容易に想像できます。その証拠に、口頭練習を指揮するネイティブ教員は、drill masterという名前で呼ばれていました(Drill masterには、「(軍隊の)教練係教官」という意味のほかに、「厳しく教え込む人, 規律をやかましく言う人」といった意味もあります)

外国語学習において、反復練習のための練習問題のことをdrillと言いますが、drill masterの指揮したdrillは、「練習問題」というよりも、「軍事訓練」という意味のdrillに近かったことでしょう。


我々がASTPから学べること


 ASTPが目覚しい成功を収めたために、戦後のアメリカの大学や高校において、ASTPを再現しようという試みが多数行われました。しかしながら、いずれの例においても、戦中の成果を再現するまでには至らなかったといわれています。

 その原因として、授業方法をASTPのそれに近づけることはできたとしても、1日の全てを外国語学習にあてることは現実的に不可能であったこと、学生の動機づけがそれほど緊急ではなかったこと、学生数が遥かに多人数であったことなどが指摘されています 。

 ASTPが目覚しい成果を収めたということを聞くと、その教授法には何かとてつもない秘密が隠されているような気がしますが、実際のところ、成功要因の多くは学習意欲や学習環境など、教授法以外のものに原因が求められそうです。

 それでは、ASTPから我々が学べることは何でしょうか? 一つには、日本における外国語教育を成功させるためには、学習環境や学習意欲など、学習を成功させるための外的要因を整えることが必要であるということでしょう。具体的には、外国語クラスで少人数制を徹底させることや、学習意欲のありなしに係らずほぼ全ての生徒が英語を学習しなくてはいけない状況を改め、思い切って英語を必修からはずし、選択科目とすることなどが考えられます。

 ASTPのもう一つの教訓は、「独自の」「画期的な」メソッドにより、努力なしに英語力が伸びるということを謳う教材を信用してはならないということだと私は考えます。巷には、「たった○カ月で英語をマスター」、「○カ月で英語がペラペラ話せるようになる!」など、安易に成功を約束する英語教材があふれていますが、長い外国語教育の歴史の中で、ASTPより高い成果が報告された教授法は、残念ながら存在していません。そのASTPでさえ、短期間でのめざましい成功の裏には、学習者の並々ならぬ努力があったことは、想像にかたくありません。

 歴史上最も成功したと言われるASTPで外国語を学んだ学習者も、決して楽をしてペラペラになったのではないということを肝に銘じた上で、我々も教材を選択し、英語学習に取り組むべきではないでしょうか。


--- * ---

(参考文献)
Angiolillo, Paul F. Armed forces' foreign language teaching: critical evaluation and implication. New York: S.F. Vanni, 1947.
Mackey, W.F. 言語教育分析. (訳)伊藤健三ほか. 東京: 大修館書店, 1979.
田中順張. "The Army Specialized Training Program." 現代英語教授法総覧. (編)田崎清忠、佐野富士子. 東京: 大修館書店, 1995.

<<前のページへ 目次 / 序文 / 1 / 2 / 3 / 4

【英語を学ぶすべての人へ クイック・リンク】
TOEIC 英検 TOEFL TOEFLライティング 国連英検 通訳ガイド国家試験 CASEC PhonePass GTEC
はじめに MDを使った英語学習 NHKラジオ英語講座のススメ 英語学習を科学する 語源で覚える英単語(改訂版) 英語の発音を良くするには その他
役に立つものたち 役立たずなものたち 掲示板 英語相談室 お便り紹介 リンク
アメリカ交換留学記 作者の日記 作者の紹介 作者へのコンタクト サイトマップ



「英語を学ぶすべての人へ」 > 英語学習を科学する