アメリカ交換留学体験記

 このページの作者は、大学の交換留学制度を利用して、2000年8月から2001年6月までアメリカヴァージニア州にあるWashington and Lee Universityに留学中していました。ワシントン・アンド・リーはアメリカの首都ワシントンDCから車で3時間程のところにある、レキシントンという町にあります。この大学は生徒が全部で約1700人しかいないため少人数制のクラスが徹底されており、教授が学生一人一人をきめ細かに指導してくれるのが魅力です。ワシントン・アンド・リーという名前は、この大学の設立者でありあの有名なGeorge Washington と、校長として大学の発展に貢献した南軍司令官Robert Leeの名前に由来しています。

 全米で9 番目に古い由緒あるこの大学は、リベラル・アーツ・カレッジで全米第12位にランク・インするなど学業的にも高い評価を受けています。経済学・会計学・政治学を学べるSchool of Commerce、全米一ともいわれるSchool of Journalismなどが有名ですが、リベラル・アーツ・カレッジであるため専門にとらわれず幅広い科目を履修することができるので、アメリカに留学を考えているあらゆる方にお薦めできます。私はスペイン語、英米文学、論文作成、戯曲購読、演劇、美術史、スピーチ、経営学などの科目を履修していました。ほとんど留学生がいない大学なので留学生用のクラスなどというものはなく、アメリカ人と同じ科目を履修しているため忙しい毎日を送っていました。

日々の何気ない出来事やアメリカ文化に関する発見は「日記」のページに書いていますので、このページでは英語学習サイトらしく、日常生活やアカデミック・ライフでの英語生活を通じて私が感じたことについて書いています。

  ・ 人はなぜ英語を勉強するのかー一番印象に残っている課題と一番印象に残っている授業
  ・ 英語には4つの文型しかない!?
  ・ アメリカに来て感じたこと……

今回は今までの留学生活中で最も印象に残っている課題と授業についてです。―2001 年4月18日

人はなぜ英語を勉強するのか

一番印象に残っている課題と一番印象に残っている授業

4月17日の日記に、


(Advanced Expository Writingという)授業で、パートナーと組んで自分の好きな話題に関するペーパーを書きなさい、という課題がありました。私と政治学専攻の学生は、NATOのユーゴ空爆に関するつの記事を読み、それらを比較・分析してペーパーを書くことにしました。私のパートナーはアメリカ人なので、記事の読解は私より正確に決まっています。彼はまた大学の新聞の名誉編集長なので、私よりライティング力がありいいペーパーが書けるに決まっています。その上彼は、ワシントンDCで行われた会議で大統領制に関する論文を発表し、80人中で5位に入賞して奨学金をもらうほどの頭脳の持ち主でもありました。

 と、私に様々なハンデがあることは始めから明らかでした。でも、いざペーパーを提出してみると、私の解釈の方がパートナーのそれよりも正確だったのです。私はペーパーに数点注文をつけられながらもAを貰ったのですが、私のパートナーは大幅書き直しを命じられたのでした。



 という記事を書きました。でも、なぜ英語と政治に関して私より知識のある学生が、私より不正確な解釈しかできなかったのだろう、と思っている方がいらっしゃるかもしれません。それには、アメリカ人の世界に関する無関心、という私が「日記」 で何回か指摘したことが係わってきます(たとえば、2001年3月20日と24日の日記を参照)。実はこのペーパー課題とそれに関するクラスでのディスカッションは、私がアメリカに来て以来、最も刺激的な経験のひとつともなっています。今回は、このペーパー課題とそれに関するディスカッションについて詳しくご紹介します。

一番印象に残っている課題

 まず、私とパートナーが課題に選んだのは、3月30日の日記でご紹介したTo Kill a Nation: Attack on Yugoslaviaの著者Michael Parenti (以下Parenti)のウェブ・サイトにある記事と、The New Yorkerという雑誌に掲載された、Michael Ignatieff(以下Ignatieff)という人の記事でした。この二人の記事はNATOのユーゴ空爆、という全く同じ事件を扱っていながら、内容は全く正反対と言っていいほど異なるもの でした。そこで、なぜ二人の主張がこんなにも違うのか分析してみよう、というのが私とパートナーが書こうとしたペーパーのゴールでした。 私は、”Whom to Believe?”という題でペーパーを書きました。IgnatieffとParentiの記事の違いは、空爆に関してどのようなソースから得た情報を信用するのか、という違いから生じたものだ、と私は思ったからです。以下がそのペーパーの概要です。


Parentiは極端な左翼であり(3月20日の日記参照)、特にアメリカの主流メディア(New York TimesLos Angeles Times・CNN・ABCなどを批判することでキャリアを重ねてきた。2年前のユーゴ空爆に関しても、彼は同じような批判をしている。 まず、ユーゴ空爆の動機に関して、アメリカはじめ西洋の主流メディアは、「コソボにおいてアルバニア系住民がセルビア系住民により大量虐殺された。そのようなアルバニア系住民を救うために、人道的な立場からNATO はセルビアの首都ベオグラードを攻撃した」、と説明してきた。また、その被害については、「NATO は最新鋭の兵器を使用したため、民間人にほとんど危害を加えずに、軍事目的の施設のみ破壊することができた。中国大使館や民間施設の誤爆は、悲しい事故によるものだった」と報道されてきた。これに対して Parentiは、「アメリカの主流メディアは、アメリカ主導の空爆を正当化するために、空爆に関して全く真実を報道してこなかった」と主張している。

そして、Parenti外国の報道機関やマイナーな報道機関から収集した情報をアメリカ主流メディアによる報道と比べ、自分の主張を証明しようとしている。 しかし、彼の記事は彼と考えを共有する左翼の読者を想定して書かれたものなので、そのような読者が喜ぶように、わざとセンセーショナルに誇張して書かれている。 ゆえに、結果的に内輪受けはするけれど、大方の読者に対しては説得力のない記事になっている。

一方のIgnatieffは、BBCやCBCなどでコメンテーターとしてキャリアを重ねた、と言うことから判るように、 Parentiがまさに目の敵にしているような西側の主流メディアに属する。そのため、彼はユーゴ空爆についても多くのアメリカ人と同じことを信じているので、 Parentiのように躍起になって読者を説得しようとする必要はない。ゆえに、彼の記事はParenti のそれに比べれば、非常に客観的で事実のみをありのままに述べようとしているように見える。

 しかし、それは表面的な違いに過ぎず、注意して読むとIgnatieffもParenti同様、読者に自分自身の解釈を押し付けようとしている、ということが判る。たとえば、彼はNATO が正しいことをした、と読者に信じさせたいがために、NATOによる誤爆の数や被害が実際よりも少なかった、と読者に誤解を与えるような書き方をしているところがある。 また、彼の記事は、戦争を仕掛けた側のアメリカ政府やNATOの高官へのインタビューで集めた情報のみに基づいているため、攻撃を受けた側からの視点を無視した、 一方的な内容となっている。

 以上の事からわかるように、IgnatieffとParentiの主張は大きく異なるが、それは西洋の主流メディアによる報道を信じるか信じないか、 という違いによるものである。Parentiの記事は主流メディアの報道を完全に否定するがあまり、真実からかけ離れている。また、 Ignatieffの記事は主流メディアの報道を完全に信じ、攻撃を受けた側の視点を全く考慮していないがために真実からかけ離れたものとなっている。ただし、 両者の記事とも主観的であり、真実をありのままに伝えていない、という点では共通しているのである。


 つまり、私はParentiの記事は非常に主観的で、Ignatieffの記事はそれとは対照的に客観的なトーンで書かれているが、実は両者の記事共に主観的である、 と書いたのです。これに対して、私のパートナーの書いたペーパーは以下のようなものでした。



Parentiは悪者で、Ignatiefは模範とすべきライターである。なぜなら、Parentiは、事実とは全く異なる自分自身の NATO空爆に関する解釈を読者に押し付けるために、言葉を巧みに用いて読者を説得しようとしているからだ。一方で、Ignatieffには自分の解釈を押し付けよう、などという考えは全くない。彼は、空爆に関してまったく偏見のない考えを持ち、自分の記事の中でも、読者に自分の解釈を押し付けるのではなく、読者にありのままの真実を伝えることに徹している。いうなれば、Parenti が読者を欺くために書いているのであれば、Ignatieffは読者を啓蒙するために書いているので尊敬に値する。


とのことでした。そして、彼はペーパーの中でParentiを「不誠実でdishonest」「うそつきでdeceiving」「よこしまでdevious」 「感情的なemotional」「最も性質の悪い修辞学者a rhetorician of the worst kind」だとさんざんに罵倒し、 Ignatieffの記事を「中道でcentrist」「事実を伝えexpository」「論理的であるlogical」と賞賛しきっていました。

つまり、私がParentiもIgnatieffも共に主観的で読者に自分の解釈を納得させよう、というスタンスをとっている、と考えたのにたいし、私のパートナーはそのようなスタンスを取っているのはParentiだけで、Ignatieffは客観的な事実を述べることに徹している、 という意見だったのです。彼のペーパーのタイトル、”Rhetoric as Enlightening or Perverting”がすべてを物語るでしょう。つまり、Ignatieff の記事が事実をありのままに伝え、読者を正しい方向に教え導くこと (Enlightening)を目的としているのに対し、Parentiのそれは事実を歪曲し、読者を誤った方向に導くこと(Perverting) を目的としている、というのが彼の主張だったのです。

この時点で私があせったのは言うまでもありません。私のパートナーはアメリカ人なので記事の解釈に関しては私よりも正確であるに決まっています。しかし、結果的には、私は2・3 Century'>点注文をつけられながらもAを貰ったのですが、私のパートナーは大幅書き直しを命ぜられたのでした。 なぜ彼がそれ程優秀な学生でありながら、私より正確な解釈ができなかったかと言うと、それは彼自身がアメリカ人であり、「アメリカは常に正しい」という一種の愛国的な考え方を持っているからのようでした。ゆえに、彼はその考えを真っ向から否定する Parentiを「うそつき」と一蹴し、彼が共感できるIgnatieffが少し事実を歪曲している、とは夢にも思わなかったのです。一方で、日本人である私は、アメリカが常に 正しいなどと思うどころか、逆に世界の色々なところで傲慢さを批判されている、という事実を知っています。だから、表面的には主観的でうそばかり書いているように見えるParentiの記事にも少しは真実がある 、ということに気づけたし、表面的には客観的で真実ばかり書いているように見えるIgnatieffの記事にも少しは虚偽がある、ということに気づけたのです。

一番印象に残っている授業

その課題に出た授業では、まずそれぞれがペーパーに関するプレゼンテーションをし、それからクラスみんなで私とパートナーのペーパーに関するディスカッションをしましたが、このディスカッションほどヒートアップしたものは今まで経験したことはありませんでした。事実、私たちは授業時間が終わって先生が去っても、教室の外でずっと議論しつづけたのでした。

そのディスカッションの中で、ParentiとIgnatieffの記事は共に主観的なものである、という私の主張に教授は同意 し、私のペーパーの一番の強みは「Ignatieffへの批判(attacks on Ignatieff)」である、と言ってくれました。しかし、私のパートナーはじめ クラスのアメリカ人学生は、Ignatieffが事実を歪曲している、ということがどうしても信じられないようでした。つまり、 「コソボにおいてアルバニア系住民がセルビア系住民により大量虐殺された。そのようなアルバニア系住民を救うために、人道的な立場からNATOはセルビアの首都ベオグラードを攻撃した」という報道を日ごろから聞かされている彼らは、もしかしたらその報道が誤っているかもしれない、ということは夢にも思えないのです。

一方で、そのクラスには留学生は私の他に二人いたのですが、彼らは私のペーパーを支持してくれました。たとえば、以前ご紹介したように、毎日新聞の記者はParenti の主張をサポートするような記事を書いています。そのような報道を知っている留学生としては、IgnatieffがBBCやCBCでキャリアをつんでいるからといって、 彼の言うことを鵜呑みにせず、疑ってかかることができたのです。

しかし、クラスのアメリカ人学生は自分の国のメディア報道を鵜呑みにし、アメリカは常に正しい、ということを疑いもしないようでした。そこで、私たち留学生はアメリカが海外ではいかに非難されているのか、ということを例を挙げて証明しようとしました。

まず、私は「アメリカが全世界的な核兵器廃絶の流れを無視し、CTBT(包括的核実験禁止条約)の批准を拒否した」、 ということを例に挙げ、「アメリカだって自国の利益を世界平和よりも優先する。そんな国が本当に純粋で中立な『人道的懸念』からユーゴを空爆した、 と何の疑いもなく信じるわけにはいかない」と言いました。インドからの留学生はそれに同調して、言いました。「インドもパキスタンもCTBTに調印も批准もしていないが、アメリカはパキスタンのみを厳しく非難した。 それはインドとアメリカが友好的な関係にあるからだ。世界の世論を代表しているかのように振舞うアメリカだって、やはり自国の利益を優先する。 だから、ユーゴ空爆に関してだって、アメリカ・メディアの主張を鵜呑みにするのは単純すぎる。」

他にも、温暖化防止のための世界的な温室効果ガス削減の動きに逆らい、「エネルギー危機に直面しているアメリカは、自国の経済に悪影響を及ぼす計画は受け入れられない」、と ブッシュが京都議定書の不支持を表明したこと、国連安保理でパレスチナのヨルダン川西岸とガザ地区に展開する監視団の創設を求める決議案が、 採決に必要な票を集めたにも係わらず、アメリカが反対したがために否決されてしまったこと( 結果は賛成9カ国、棄権4カ国、不参加が1カ国、反対が1カ国で、15カ国中で反対した国はアメリカだけでした。 しかし、常任理事国であるアメリカには拒否権があるため、他の国の意思に関係なく決議案を否決させることができるのです)、など私たちはあらゆる 例を挙げてアメリカが常に正しいわけではない、ということを証明しようとしました。

しかし、CTBTや京都議定書やパレスチナ問題に話が及ぶと、アメリカ人の学生は留学生に比べるとまったくといっていいほど無知でした。 以前も書きましたが(3月24日の日記参照)、アメリカほど世界で色々な問題や紛争に介入している国はないのに、その国の国民がそれ程 アメリカのしている国に無知である、あるいはメディアの主張を鵜呑みにしてアメリカの正当性を疑おうともしないとは、少し恐ろしい気がします。 しかも、それは全米で指折り数えられるほどのトップ・クラスの大学に在籍する学生でもそうなのです。ちなみに、ユーゴ空爆に関するペーパーを書いた私のパートナーは、 DCで行われた会議で入賞し、卒業後はアメリカの連邦政府で働くことが決まっている、ということから判るように、この大学の学生の中でも相当優秀な方なのです。

中東和平問題も

ちなみに、熱心なクリスチャンで右派のアメリカ人学生と、インドからの留学生はペーパーのトピックとして、中東和平問題を選びました。彼らも 2つの記事を選んでそれをそれぞれ分析したのですが、そこでも二人の記事の解釈は大きく異なりました。彼らの2つのペーパーとそれらに関するディスカッションもとても 興味深いものだったので、ここで紹介しようと思います。

彼らの選んだ2つの記事の内、ひとつはU.S. News and World Reportの編集長(editor-in-chief) 、Zuckermanによる社説で、もうひとつはForeign Affairsという学術専門誌に掲載されたMakovsky という人による記事でした。U.S. News and World Reportはかなり大手の雑誌ですが、 編集長がユダヤ系アメリカ人であるため、彼の記事はかなりイスラエル寄りで、アラファットはじめアラブ側を批判しています。 イスラエル側の落ち度には全く触れていないため、彼の記事が偏見に満ちており、一方的で鵜呑みにするのは危険なものであることは明らかです。 一方、Foreign Affairsは学術的専門誌であるため、それに掲載されたMakovskyの記事はパレスチナ問題を客観的な立場から分析し、イスラエルとアラブ諸国両方の落ち度を指摘するバランスの取れたもの となっています。

インドからの留学生は、故郷で新聞記者として働いていたこともあり、4月からは学校の奨学金を得てLos Angeles Times などの記者とリサーチを行うことが決まっている、という大変優秀な学生です。ジャーナリズム専攻である彼はパレスチナ問題にも詳しく、 2つの記事の分析は正確でした。 彼はZuckermanの偏見を指摘し、Makovskyの客観性をたたえていました。

一方で、彼のパートナーのアメリカ人学生は、熱心なキリスト教徒であるためかなりイスラエル側に肩入れしています。そして、彼は、「Zuckerman は確かに偏見があるかもしれないが、自分の意見を強く主張するのでいいライターである。一方でMakovsky は客観的過ぎて自分の主張をそこまではっきり押し出さないので、Zuckermanより悪いライターである」、と書いていました。そして結論としては、「個人的にはアラブ諸国はもっと譲歩し、イスラエルに土地を譲るべきだ、と思う。なぜなら、キリストがベツレヘムで生まれたためPalestineは聖地であり、イスラエルにその土地を所有する権利があるからだ」とまで書いていました。 パレスチナ問題に関してアメリカはイスラエルに多額の資金援助を行うなど肩入れしてきましたが、アメリカがこの問題に関して客観的に対処できない、その原因をまさにここに見たような気がしました。

ブルガリアの留学生にきくユーゴ空爆

留学生とアメリカ人は普段全く何の垣根もなく仲良くしていますが、このような議論になると決定的に反応が分かれてしまうのが面白いものです。 また、ワシントン・アンド・リーにはブルガリアからの留学生が二人いたのですが、彼らにユーゴ空爆に関する意見をきいてみると、まったく予想外の反応で驚きました。

彼らの事実認識は、Ignatieffに代表される多くのアメリカ・メディアの報道とは全く正反対のもので、Parenti の主張と共通点が多かったのです。彼らの言うには、ブルガリア人の多くはNATOが人道的な理由からユーゴを空爆した、 などとは全く思っていないようです。彼らは、「NATOはセルビア系住民により虐殺されたアルバニア系住民を助けるために、 人道的な懸念からセルビアの首都を攻撃した、と主張している。しかし、実際にはセルビア系住民とアルバニア系住民はお互いに虐殺し合っていたため、アルバニア系住民だけを救うことが人道的であるはずがない」 と言いました。私が、「じゃあ、ブルガリア人はなぜNATOがベオグラードを空爆したと思っているの?」ときくと、「それはユーゴスラビアの 大統領ミロセビッチがcommunistで、資本主義を世界に広めたいアメリカはそれが気に食わないからさ。ベオグラードはユーゴの首都であると同時に、 セルビア共和国の首都でもある。だから、アメリカはまるでセルビア人が一方的に悪いみたいに報道して、ミロセビッチの膝元でもあるベオグラード攻撃を正当化しようとしたんだ」

さらに、彼らは言いました。「NATOは人道的な理由からユーゴに介入した、とアメリカ人はみんな信じているけれど、そんなのブルガリアで信じている人はいない。 アメリカが本当に人道的懸念を抱えているなら、ユーゴじゃなくてまずトルコを空爆するべき。トルコでのクルド人が虐殺だって、人道にもとっているじゃないか。」また、「NATO の空爆が正確でほとんど被害をださなかったって言うけれど、そんなことはない。まず、ブルガリア経済に影響を及ぼしている。なぜって、輸出・輸入品の多くはユーゴを通って陸路で来ていたけれど、 ユーゴのインフラが大打撃を受けたんだから」「それに、NATOの使用した劣化ウラン弾でヨーロッパに放射能汚染が広がっている。 NATOはその責任を否定しているけどね」

ブルガリアはユーゴの隣国なので、彼らの言うことには信憑性があります。また、ブルガリアはNATOに加盟しようとしているため、 よほどのことがない限りブルガリア人がNATOを責めるとは思えません。しかし、彼らの主張があまりにも Parentiのそれと似通っているのには少し驚きます。「アルバニア系住民だってセルビア系住民を虐殺した」、「NATO はユーゴは空爆してもトルコを空爆しないのはなぜか」、「NATOの使用した劣化ウラン弾で環境汚染が広がっている」というのは、 すべてParentiがその著書の中で主張していることなのです。

私のクラス・メイトのアメリカ人の多くは、Parentiに拒否反応を示し、「はじめの一ページを読んだだけでくだらなくて 読む気がしなくなった」と公言する人もいました。また、私のパートナーは彼のことを、「不誠実でdishonest」「うそつきで deceiving」「よこしまだdevious」と形容していました。確かにParentiの文章は左翼受けを狙っているせいかあまりにセンセーショナルすぎ、 その主張のほとんどは読むからに怪しいものです。しかし、それが災いして、もしかしたら本当かも知れない有益な情報さえも「くだらない」と一蹴されてしまうのは、少し残念な気がします。

アメリカ人学生の無知をまた批判してきましたが、よく考えてみれば、国際情勢にうといのは日本人だってたいして変わりません。 あの白熱したディスカッションの後日、そのクラスの留学生と、「こないだはアメリカ人ばっかり国際情勢に無知だ、って感じで言ってたけど、日本人の学生だってそうだよ」「ああ、どこの国の国民だって国際情勢には同じくらい無知だよね」「でも、自分が外国にいる間は、自分の国のことは棚に挙げてその国のことを批判できるからいいよね」 と話していたのでした。

また、自国メディアの報道への盲信というのはどこの国でもあるものでしょうが、アメリカに来てからそれがいかに怖いものか、 というのが身にしみて判ったような気がしました。自分の英語力が、このような教訓を学んだり、アメリカの学生とコソボ紛争や中東和平について討論したり、 ブルガリアからの留学生から貴重な話を聞いたり、色々なことに役立ち、英語を勉強してきて無駄にはならなかったな、と改めて思いました。直接話をするのに役立ったのはリスニングとスピーキングの能力ですが、 リーディングの力がなかったら正しく記事を分析できなかったでしょうし、ライティングの力がなかったら自分の複雑な考えをペーパーを通して伝えることもできなかったと 思います。

皆さんも英語(に限らずどんな外国語でも)を勉強していて目標を失ったら、それが自分にどんな新しい可能性を与えてくれるのか考えてみてはいかがでしょうか。 あと約6週間で私の留学生活は終わってしまうのですが、日本に帰ったらこの英語という道具を使って、今度はどんな新しいことができるのかを探すつもりです。

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今回は留学中にあった英文法に関する興味深い話題についてです。

―2001年3月2日

英語には4つの文型しかない

英語には4つの文型しかない、と言ったら大抵の方は、「いや、『1.SV, 2.SVC, 3.SVO, 4.SVOO, 5.SVCO』の5つあるはずだ」と思うでしょう。私もついこの間まではそう思っていました。でも、アメリカの学校は英語には 4つの文型しかない、と教えることもあるそうです。私がそれを学んだ経緯を話しましょう。

私はワシントン・アンド・リーで論文作成の授業をとっているのですが、その授業の教授がアメリカ人向けのライティングの教科書を書き、 その出版前の原稿を私らに見せてくれました。その本には、「我々ネイティブ・スピーカーは普段文法を意識しないものですが、基本的な文法の知識は 正確で効果的な文章を書くのに役に立ちます」という前置きで、英文法解説をする章があります。そして、「それでは英語の文型を紹介します。この世の中の すべての英文は以下のどれかの文型に当てはまります」という文章に続いて紹介された英文型の分類方法は、私が今までに見たことも聞いたこともないものでした。それらは、

1.SV (主語・動詞)

2.SVO (主語・動詞・目的語)

3.SVN (主語・動詞・名詞)

4.SVA (主語・動詞・形容詞)

という4つでした。SVOOとSVOCがない代わりに、とSVAというのがありますね。例を上げて紹介しますと、

1.SV(主語・動詞)「SVする」

この第一文型は我々が学校で習う第一文型と全く同じなので問題ないでしょう。主語の後に自動詞が来て、目的語も補語もありません。

I go to school five days a week.

2.SVO主語・動詞・目的語)「SOを/にVする」

この第二文型は、我々が第三文型として習ったものと同じです。主語の後に他動詞と目的語がきます。

I make cookies.

I’ll tell you.

 ここまではいいとして、次からが驚きです。我々が第二文型として分類するであろうカテゴリーを2 つの文型に細分化し、それぞれ第三文型、第四文型と名付けているのです。

3.SVN(主語・動詞・名詞)「SNである」

補語に名詞が来て、主語と補語の間にイコールの関係があります。日本語では、「学生だ」、「あの映画芸術作品だ」などのようになる文です。

Washington and Leeis a small college.

4.SVA(主語・動詞・形容詞)「SAである」

そして、私たちなら同じ第二文型に分類しそうなこのカテゴリーですが、なぜか補語に形容詞が来ると別の文型として分類されます。日本語では、 「あの赤い」、「あの映画すばらしい」などのようになる文です。

Washington and Lee is small.

以上です。SVOOやSVOCはどこへいってしまったのでしょうか?。私がそのことを先生に質問すると、 「そういう分け方も聞いたことがあるが私が親しんでいるのはこちらの方だ」、との答えでした。ちなみに、その先生は言語学で Ph.Dをとり、ワシントン・アンド・リーでは最も英語教授経験が豊富であり、日本で英語を何年間か教えたこともある、という英語教育の専門家なので信用に値すると思います。

なるほど、我々日本人が親しんでいる英文法とは別のヴァージョンの英文法がこの世には存在する、ということですね。以前の日記で、以下のような体験談を書いたのを覚えていらっしゃいますか。

■2001/01/16 (火) 英語を知らないアメリカ人

(略)ワシントン・アンド・リー大学は最近の調査で、全米第12位のリベラル・アーツ・カレッジにランク・インするほどレベルの高い大学ですが (The 2001 U.S. News rankings of the nation's top collegesによる)、試験に出る英単語に載っているほどの簡単な語源の知識を生徒が知らないなんて少し驚きました。

ただ、母国語に案外無知なのはアメリカ人に限ったことではないようです。私は日本語を勉強している学生に、「『食べる』っていう動詞は『ル動詞』、『ウ動詞』、それとも『不規則』?」ときかれたことがあります。そんな区分の仕方は聞いた ことが無かったので、「そんな分け方知らない」と言ったら、「何でこの人日本人なのに………」という顔をされてしまいました。(略)

このような日記の内容に対して、日本語教員の勉強をされたことがあるようこ様から以下のようなご意見を頂きました。

ル動詞 ウ動詞 不規則(変化)動詞 投稿日 2001年1月18日(木)ようこ

初めまして。実はちょっぴり日本語教員の勉強を以前にしたことがあるんです。でね、ル動詞とかは、日本人がいわゆる国語で習う日本語文法とは違う文法で、日本語を勉強してるひとたち、日本語を母国語としない人達が習う文法なのです。 なので、知らなくて当然。私たちが学校で習った文法は、日本語が話せる人のための文法なのです。また来ます♪

貴重なご意見どうもありがとうございます。つまり、日本語に日本人のための文法やノンネイティブのための文法があるように、英語にもネイティブための文法や ノンネイティブのための文法がある、ということでしょう。しかし、アメリカ式の分類法に納得いかないところがあったので、私は以下のような質問をしました。

補語が名詞か形容詞かどうかでSVCの文を>2つに分けているのですが、そのような区分には果たしてどれほどの意味がある のでしょうか?。そして、SVOOSVOCという文型が除外されているのはなぜ なのでしょうか?。たとえば、

She makes me happy(彼女が私を幸せにしてくれる).

というSVOCの文で、Cにあたるhappyはこの文章が意味をなすために最小限必要な文の構成要素だと私は思います。なぜなら、happyを文から取り去り、

Shemakes me(彼女が私を作る?.

という文にしたら、全く違う意味の文章になってしまうからです。今の疑問に答えてくれればアメリカ式の分類方法にも納得がいくのですが……」

以上のような質問をすると、先生の返事は、「うーん、考えておくよ」とのことでした。その授業には私を含めてノンネイティブは二人いますが、 後の生徒はみんなアメリカ人です。彼らは英語はもちろん普通に書けるし、しゃべるのですが、文法の知識はほとんどないため終始ぽかんとしていました。 文法の話になるとこの授業では私の独壇場なのです。この日は他にも、quesi-predicate、cleft sentence(分裂文/強調構文)、There is/are構文などについてアメリカ人に説明し、私は密かな充実感を感じていたのでした。

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以下はアメリカ滞在開始一ヵ月後の体験談です。

―2000年9月19日

アメリカに来て感じたこと……

この大学に来てまず驚いたことは、みんな英語が上手すぎる、ということです。私は日本にいるときには英検やTOEICで点数も取れたので自分の英語力に多少自信を持って いたのですが、1700人の生徒中約90人が留学生のこの大学で、私は間違いなく英語ができない部類に入る人間です。 たとえ英検一級を取ろうがTOEICで満点を取ろうが、「これで英語をマスターした」と言えるような領域に達したことの証明にはならない、ということですね。資格試験を目指すのは短期的な 目標ができて勉強もしやすくなるのでいいのですが、それが英語学習の最終目的になってはいけないな、と改めて思いました。


Pardon?

特に何ができないかと言うと、意外なことにそれがリスニングなのでした。あれだけやさビジ(NHKやさしいビジネス英語のことです)をMD に録音してがんばっていたのですが、不思議なことに人の言っていることが聞き取れません。でも、授業の講義などは大体聞き取れるのですが、特に聞き取れないのは 普通の学生との日常会話です。はじめは南部訛りだからだろうとか(私の行っている大学は南部にあるのです)、スラングを使っているからだろう、とか思っていたのですが、 別に向こうは訛っているわけでもスラングを使っているわけでもありませんでした。ゆっくり言ってもらうと聞き取れるし、何てこともない普通の文章なのですが、 普通に言われると何が何だかわかりません。私は1999年の5月のTOEICでも2000年の3月のTOEICでもリスニングは満点だったし、ラジオを使った学習も続けていたのでリスニングで困ることはないだろう、と思っていただけにショックでした。

なぜ英語が聞き取れないのか?―その1―

原因を自分なりに考えたのですが、それはラジオ英会話やビジネス英語で聞いている英文というのは収録用にとてもクリアに発音されたものだからだろう、 という結論にたどり着きました。考えてみれば英検やTOEICで出題される英文も、自然な発話でなく試験用に収録されたものです。そういう明瞭な文章を聞くことにばかり なれていたので、割とはっきり言ってくれる先生の講義などはきき取れるのですが、友達同士の会話などは聞き取れないのでしょう。でも、片方は聞き取れて片方は聞き取れない、 というのは変ですよね。同じ英語と言う言語なのに。どうも私のリスニング学習は資格試験の英語向きであったけれど、それだけでは本当に「英語」という言語をマスターするのは不可能だったんだな、ということに気づきました。

なぜ英語が聞き取れないのか?―その2―

あともう一つ思い当たるのが、私はいまだにlとrとか、bとvとか、thとsとか英語の個々の音(音素と言います)のいくつかの区別がつかない 、ということですね。こういうのも資格試験ややさビジなどでは文脈から考えてこっちだろう、と見当をつけていたのですが、こっちに来てからはそうもいかない 状況になってきました。たとえば講義などで「へいろー」と聞こえるような単語を先生が使ったのですが、私にはその「へ」が「h」なのか、「f」なのか、そして、 「ロ」が「r」なのか、「l」なのか、そして「ー」が「ou(オウ)」なのか、「o:(オー)」なのか判りませんでした。本当なら音素の区別がつけば発音記号でも 書いておいて後でそれを発音して誰かに教えてもらうか、それを便りに辞書を引けばそれがどのような単語だったのかが判るはずなのですが、それも出来ないので辞書を 引くことも出来ませんでした。しょうがないので授業後先生のところに個人的にいって色々なヴァージョンの「へいろー」を試した結果、それがhalo という単語であることが判りました。発音記号は、/heilou/でした。

他にも、elongated(膨張した)とか、auspicious(幸先のいい)とか、medallion(大メダル)とか、contrapposto(イタリア語のようです) とか、知らない単語が出てくると、それを発音記号に置き換えたりスペル・アウトしたりすることが出来ず、かといってそのたびに授業の進行を止めるわけにもいかないので、 授業後いちいち先生にききに行かなくてはならず、非常に面倒です。後は、知っている単語でもtemporal(現世の)がtemperature(温度)とか、 tenure(保有、大学教授などの終身在職権)がten-yearとか、radial(放射状の)がradioとかに聞こえて話が通じないこともあったので、 音素が聞き分けられないのは結構大きな問題であるような気がしてきました。後、極めつけですが、「Matthew Socha という名前の人を知っている?」と聞かれたことがあったのですが、私にはその人が「松岡という名前の人を知っている?」という風に聞こえてしょうがありませんでした。 thとsとtの区別がつかないとこういう悲劇が起こるのです。

どうすれば音素の区別がつくようになるのか?

次はどうすれば音素の区別がつくようになるのか、ということですが、答えはよく判りません。とりあえず留学期間がまだ9ヶ月近く残っているので、 その間にどうにかなることを願っています。友達の言っていることが聞き取れないと会話が断絶してコミュニケーションがとれなくなるので相手に申し訳ないですし、 みんなが何かの話で盛り上がっているのにもついでいけず本当に嫌になってしまいます。何かいい方法はないでしょうか?音素の区別がつくようになれば、やさビジやラジオ英会話学習成果も加速度的にアップするはずなので、これは別に留学と言う環境に 身を置いてないどなたにでも役立つことだと思います。

と、ここまで書いてきて、私は今巷で話題のマジック・リスニングというのが気になっています。大体私はこういう教材は信用しないのですが、 なぜ日本人には英語の子音・母音が聞き分けられないか(例えば、lとrの区別がつくか、thとsの区別がつくか、fとhの区別がつくか、ということです) というホームページの説明を読んで妙に納得してしまいました。私も日本にいる間にこの問題の重要性に気づいていれば、早速試していたと思います。

2002年8月追加 と、書いたきりのマジック・リスニングでしたが、この度実際に購入し、その効果を試してみました。結果が気になる方は、マジック・リスニング体験記をご覧下さい)

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